スターハムのりんご味サッカー

思ったことを書くだけのブログです、超不定期更新

自己肯定感

本来、自己肯定感はある一定以上持っていた方が良いはずのものですが、僕はあまり自己肯定感を持たずに過ごしています。

皆さんには自己肯定感はありますか?

 

 

どうも、ハムスターです。

 

僕の楽しい生活に蓋をするかのように邪魔をしてくるのが、"自己肯定感の無さ"なんですが、なんでこんなに自己肯定感がないんでしょうか…

今回それを思い出しながら自己肯定感は持つべきなのか否か、個人的な考えをメモしておきたいと思います。

 

 

・幼稚園、小学生時代

 

昔僕は泣き虫でした。なにかあればすぐ泣くある意味とても弱い子供だったと言えます。幼稚園年中の頃には毎日泣いてたし、小2の頃には年下に軽くいやがらせされました。小学校中学年では両想いの人がいましたが、かなり他の人からそれでいじられていた記憶があります。良くいえば"いじられキャラ"です。

 

別に長所がないという訳ではなく、例えば、この頃は勉強が出来ました。算数が得意であったことや、漢字や地理が好きで色々知っていたために勉強ができる扱いをされていました。

また、よく言われていたのが"優しい"と言うことです。性格は周囲からある程度評価されてたっぽいので、怒られることもほとんどなく幼稚園、小学校時代を過ごしました。

 

…その割にはこの頃から自己肯定感は低く、小4の時に道徳の授業で長所短所を書き出す機会があったのですが、長所は4つしか書けなかったのに対し、短所は25個書いた記憶が鮮明に残っています。なんで自己肯定感が低かったかは分かりませんが…。それでも長所4つ書けてるので、良い方だったりします。

 

 

・中学生時代

 

実はここが大きなターニングポイントです。

 

別に悪い友達に囲まれたわけじゃないのですが、ある"嫌いな人"に影響を受けたのがとても大きいです。

 

その"嫌いな人"(以下K君とします)は、ナルシストでした。具体的には自慢(しかもかなり盛り気味)をひたすら繰り返し、他の人を見下すような態度を取り続ける、そんなような人でした。K君は僕に限らず同クラスや同部活の多くから嫌われていきます。そんなK君と同じ部活(サッカーでした)で3年間、中2~3で同じクラスとして過ごすことになります。僕は人と距離を置く術をいまいち身につけていないのもあり、それなりに近い位置にK君は居続けることになります。

 

僕はK君を反面教師とすることにしました。要するに、話は盛らず、人を見下さず、ナルシストにはならないようにしよう、そう決めたのです。

 

が、少し過剰だったかも知れません。

 

色々考えた結果、次のようなことを心がけるようになりました。これが自己肯定感低下システムと化していく訳ですが…。

  • 人が不快になるようなことはしない。
  • 基本的に嫌われてる前提で行動をする。
  • 長所は見方しだいで短所になりうるから、自信を持つことをせずもっと磨く姿勢をとる。

 

これを見て皆さんはどう思うでしょうか。やりすぎだと感じるかも知れませんし、当たり前だと感じるかも知れません。ただ、この3つは思ったより僕の自己肯定感を削っていったと言えると思います。これは先に進むと見えてくることです。

 

※K君の名誉のために言っておきますが、K君から僕は悪影響を受けた、ないしは僕の自己肯定感の低下はK君のせいだ、などとは全く思っていません。また、K君とは高校も一緒ですが、かなり性格が丸くなったと感じたということもここに記しておきます。

 

 

・高校生時代

 

幸い、高校ではかなり友達に恵まれました。とくに同じ部活に所属した人達はほぼ例外なくかなり良い人ばかりで、僕はその部活を実家より安心する場所だと思っていました。今でも戻りたいです。

 

が、ここで中学の時築き上げてしまった、自己肯定感低下システムが気づかないうちに発動していきます。

 

 

友達はやさしかったので、励ましの言葉やお褒めの言葉をよく頂きましたが、いまいち信じられませんでした。友達が僕に気をつかっているだけだと思ったのです。例えば友達が僕のことを嫌いで、仕方なく付き合っているだけなら励ましも褒め言葉も嘘か薄っぺらい言葉にならざるを得ません。嫌われてる前提で行動している影響です。

 

また、僕の発した失言や間違った態度がいつまで経っても忘れられません。人を不快にさせないと決めたのに、正当性の全くない僕のミスで守れない。それが非常に情けなく、申し訳なく感じてしまいます。これも自己肯定感を低下させている一因です。これは思い当たる人が結構いそう。

 

 

一応、部活内でそれなりの役職に任命されたり、全道大会に進出したりしましたが、周りが優秀すぎてかなり霞んでいます。こうした周りと比べてしまう癖も自己肯定感を低下させる一因ですね。

(実は全国大会でそれなりにいい成績を納めましたが、それに関しては僕は殆ど貢献してないのでノーカウントです。)

 

・大学生時代

 

大学生になって一人暮らしを始めました。これは至らない自分が成長するために始めたという経緯があったりなかったりしますが、至らない自分をただただ見せつけられる結果になり、自己肯定感が大きく低下しました。

ここら辺の経緯は前々回で書いたような気がするので詳しくは書きませんが、家事がまともに出来ない、一人暮らしが向いてないような自分は生きること自体が向いてないような気がしてくるのです。

 

 

・一旦長所を見つめ直してみる

 

僕の長所は、小学校の時から変わってないと思っています。とはいえ周りの状況は変わります。

 

 

例えば勉強ができること。正直、能力の善し悪しに関することは長所としたくないのですが、それを無かったことにしても今は勉強ができるとは到底思えません。限定的にしか勉強が出来ません。

何が言いたいかと言うと、小学校の時、勉強が出来るかどうかはほぼほぼ算数が出来るかどうかで決まります。算数や数学は今でも得意ですが、それ以外の教科は平均的か苦手なものばかりなので、勉強ができるとは思えない、そういうことです。

 

もうひとつあげていたのが、優しいこと。これに関しても、限定的にしか優しいと思えません。(そもそもネットの世界では大して優しくないですが、そこは一旦置いておきます。)

優しさには"消極的優しさ"と"積極的優しさ"があると思っています。僕は前者は持ち合わせている自信がありますが、後者は全く持ち合わせていません。要するに受け身の優しさしかもちあわせておらず、年齢が上がるにつれ、これでは不十分なのです。

 

 

・自己肯定感の低さが及ぼす影響

 

自己肯定感の低さは負の連鎖を引き起こします。自己肯定感が低いと新たな行動を起こせず、また、自らの全てを否定してしまいます。全く進歩しません。なので、自己肯定感を高めたい、そう思いますが、ふとK君のことを思い出し、「自己肯定感が高いことってほんとに良い事?」と自問自答してしまうのです。そして、さらに自己肯定感は低下していきます。

 

 

・彼女

 

実は彼女がほしいと思っていました(過去形)。これは自己肯定感や自分の存在価値を無条件に保証してくれる、そんな人だと思っているからです。わざわざ嫌いなのに彼女になってくれるパターンは(少なくとも金や権力を持ってない以上)ほとんどないと言って良いです。だから彼女が欲しかったのですが、最近は家事ができないような僕が彼女作っても幸せにできない。そう考えるようになってしまいました。

 

自己肯定感ってどうやってあげればいいのでしょうか?

 

 

 

 

・おまけ、自分の長所と短所

 

長所

 

短所

  • 自己肯定感が低い
  • 積極的優しさがない
  • 人間不信
  • ファッションセンスがない
  • 努力できない
  • 家事ができない
  • 計画性がない
  • 部屋が片付けられない
  • 姿勢がわるい
  • BMIが16.1
  • 結果を出せない
  • やる気がいつまで経ってもおきない
  • というかなにもやらない
  • 自分で決めたことすらやり遂げられない
  • 面白くない
  • 生産性がない
  • 生存価値がない
  • いつまでもニート
  • 単位を当たり前のように落とす
  • 忘れ物が多い
  • 詰めが甘い
  • 適当
  • おおざっぱ
  • 朝ごはんを抜く
  • 夕飯を納豆ご飯で済ます
  • 毎日のように著作権法を犯している
  • しにたいが口癖
  • 生活習慣が悪い
  • 説明が下手
  • 理解力もない
  • コミュ障
  • ストレス耐性が皆無
  • あほ
  • ばか
  • まぬけ
  • あんぽんたん

4ヶ月の山形生活を終えて(ないけど)

おことわり

前回の続きを書くつもりでしたがまた今度にします

 

 

 

 

どうもハムスターです。

今年4月から山形で一人暮らしをしていた訳ですが、あと2日で札幌に帰省します。

この4ヶ月を振り返って思ったことをだらだらと書き残しておきます

 

 

 

 

・一人ぼっち

 

コロナで大学に行けないので友達が出来ませんでした。もっと言うと自動車学校に行くこともバイトもしてないのでまじでひとりぼっちです。さみしい…

 

 

・自堕落なニート生活

 

一応課題はこなしたつもりですが、それ以外は寝るかゲームするか音mad制作するか(家事するか)しかしてません。

まじで無意義です。

親から大金を吸い取って溶かしているという4ヶ月だったとも言えるでしょう。

 

 

 

・なぜ自車校行かなかった?バイトしなかった?

 

これには何個か理由があるのですが、4~5月はコロナで行く気が起きず、6月以降に行くと中途半端になるから行かないほうがいいという結論に至りました。

幸いバイトしなくても何とかなる金銭状況だったのも理由のひとつですね。

 

 

・という言い訳

 

そう、上述の理由は言い訳にしかなっていません。

まあ嘘の理由ではないんですが、ただただ僕が怠け者で怠惰を極めていた。ただそれだけのことです。なぜやらない。

 

 

 

・そもそも一人暮らしを始めた理由

 

札幌近辺にちょうどいいレベルの大学がなかったから、というのが最大の理由ですが、それ以外にも主に4つの理由があります。

 

・人として成長するため

・花婿修行

・自由になりたかったから

・母親の受動喫煙から逃れたかったから

 

正直、この4つ、あまり達成されていません。

 

この4ヶ月の1番の反省点として、家事があまりにも疎かになっていることがあげられます。

もともと家事をほとんどやらない人だったので、これではいけないと思って家事をやらざるを得ない環境に身を置いたんですが、蓋を開けてみると、結局やりませんでした。

部屋は散らかりっぱなし、ゴミはなかなか処理されず、自分の体の管理すらかなりテキトーになってしまいました。

たしかに自由な時間は手に入れたかもしれませんが、その自由な時間はあまり楽しいものと言えず、ただただ時が流れていくのを待っていただけのようにも思えます。

上ふたつの理由は言わずもがな達成されていませんし、受動喫煙からは逃れましたが栄養管理やらなんやらが格段に低下したので健康になったわけでもありません。

 

 

 

 

・一人暮らしは向いていない

 

もしかしたら一人暮らしは向いていないのかましれません。たしかに向き不向きはあります。どっちにしろ4年間は一人暮らしするわけですが、多少の欠点は開き直って生活するべきなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・そもそも人間が向いてない

 

思ったんですが、

家事すらまともに出来ないような人間が生きる意味などあるのでしょうか?

周りは自車校なりバイトなりに挑戦してるのに、

なにもやらずただ時を過ごすだけのニートが生きる意味などあるのでしょうか?

 

そう感じてしまいました。少なくとも人間は向いていないかも知れませんね。

 

 

 

 

・生存価値とは

 

結局前回の問題に立ち戻ってしまいました。前回は"感情"の観点から生存価値を考えましたが、一人暮らしをすることによって"金銭"の観点から生存価値を考えることができるとわかりました。

 

私は月9万の仕送りと学費を親に支払ってもらっていますが、それだけの価値が僕にはあるのでしょうか?多分ないと思うんですけどね…

 

 

 

 

 

最後に

うつになった時はおっぱい!って叫べば意外と気分が晴れますね。

 

生存価値

みなさん、生きていて楽しいですか?

 

 

 

どうも、ハムスターです

 

ぼくは、結構ネガティブで深く考え込んでしまうタイプなので、時折病んだり鬱になってしまったりします。最近はそれほどでもないですが口癖が「死にたい」になってるのは良くないですね。

 

特に、「生存価値」について考えることがままあるんですが、今回はこれについて自分なりの考えを語っていきたいと思います。

 

なお、この先倫理観・道徳観的な配慮が欠如した論が展開されますが、この論は(私自身は)私自身にのみ適用し、他の人には適用しないということを注記して配慮しておきたいとおもいます。

 

 

 

・生存価値の分類

 

私は生存価値は2つに分類することができると考えました。

 

1つは「自己的生存価値」。これは簡単にいえば、自分が生きてて楽しいか、生きてて辛いかということを表す指標です。

 

もう1つは「社会的生存価値」。これは自分以外の他者から見た生存価値ということになります。例えば、羽生結弦くんは華麗なスケートで大勢の人を楽しませているので社会的生存価値は大いにあるということになります。

 

「社会的生存価値」は、なにも大勢を楽しませていなくても発生し、たとえば愛し合っている恋人には相互的に社会的生存価値が発生していることになるし、コンビニでバイトしてる若者は、コンビニの運営に貢献してるから社会的生存価値が発生しています。

 

 

・自分自身に置き換えてみる

 

さて、今の自分は生存価値があるのでしょうか。

 

まず「社会的生存価値」について考えてみます。

 

例えば親。多分嫌われていないということを鑑みると、少なくとも親から見た生存価値はそれなりにある気がしています(そうでないと仕送りなんてして貰えていません)。

 

友達(ここでは一旦リア友に限ります)から見た私の存在価値も0よりは大きいでしょう。自分でも不思議ですが、一切自発しない鍵ツイ垢に20人ぐらいFFがいるので、(根拠としては薄いですが)たぶん嫌われてはいません。

 

ネットの世界ではどうでしょうか。

一応現在のようつべは登録者が1300人ぐらいいるし、視聴回数もそれなりに撮れるので、僕が死んだら1人2人は悲しんでくれる気がしてます。ということは僅かに生存価値は保証されてそうです。

 

「社会的生存価値」はあることがわかりました。

ただ、一方で「自己的生存価値」について考えてみると、ほぼ0であると言わざるを得ません。正直楽しくもなんともない人生をだらだら送っている、そんな日常が続いています。バイトでもすれば良かったのかもしれませんが、タイミングを逃してしまいました。

 

 

・結局生存価値はある?ない?

 

でも、「社会的生存価値」はそれなりにあるのだから問題ない、そう一瞬は思ったのですが、ここで問題が発生します。

それは「社会的生存価値は実感として感じにくい」ということです。

 

基本的に「社会的生存価値の存在」を裏付ける証拠が乏しいのが現状です。例えば彼女がいて、毎週のようにデートしてる、そんな日常であれば別ですが、基本的には明確に裏付ける証拠を出すのは困難です。

 

結局生存価値はあるけど、実感としてほとんど生存価値を感じずにいる。というのが今の私の現状です。

 

 

・死んだ方がいいのか?

 

じゃあ死んだ方がいいのでしょうか?

 

そうかもしれないですが、今現在僕には死ぬ勇気が一切ありません。怖いです。怖すぎます。

 

死なないなら生きるしかありません。

ただ、生存価値もろくに感じないまま生存し続けるのはある意味苦痛を伴うので、生存価値が欲しいのですが、そこに僕のネガティブな思考が蓋をし続けています。

 

 

 

 

 

もしかしたら続く…かも?

 

自己紹介

はじめましての人ははじめまして、スターハムです。
適当に自己紹介します

名前:スターハム
性別:男性
居住地:山形県
趣味:音mad制作、ゲーム、寝ること

よろしくお願いします







…これで終わってもいいんですが、さすがに味気ないのですこし自分語りでもします



・名前

もともとハムスターという名前でようつべで動画投稿を始めました。
由来は動物の中でハムスターが1番好きだということと、なぜかとっとこハム太郎に似てる?と言われたことから。
ただ、最初ようつべの姓名反転クソ仕様に引っかかってしまい"スターハム"と表示されてしまいました。
しばらくして"ハムスター"と表示されるように変更しましたが、今度は"ハムスター"と検索しても動物のほうのかわいいハムスターの動画ばっかり表示され、ちっとも僕の動画が出てこなくなってしまいました。
なので、"スターハム"にまた名前を変更しました。

ちなみにようつべ以外では"ハムスター"で通すつもりでしたが、エゴサーチに不便だし、ようつべとそれ以外で違う名前なのは紛らわしいのでTwitterは"スターハム"にしましたが、他の媒体だと"ハムスター"だったりします

【媒体別名前の早見表】
スターハム
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ハムスター
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人狼ジャッジメント




・居住地

実は現在大学1年生で、一人暮らし中です。なので山形県で暮らしてはいますがたまに実家のある札幌に長期帰省します。

…あと、関係ないんですけど、山形にある大学って少ないのでバレそうですよね…てかもうバレてそう



・その他

彼女募集中です。





こんな感じで適当に思ったことを書いていくのでよろしくお願いします。ただ、こんなブログ読んだってあまり意味は無い気がしますが…